スピードKeiの初心者向け投資術

人はなぜお金を投資・運用できないのか?その理由や初心者が投資を経験するための具体的方法を「貯蓄に狂っていた僕」がお伝えします。

3)預金・貯蓄にしか興味がなかった僕が投資に目覚めた理由(全5話)

<洗脳された銀行員時代 中期~終期> 


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  1. 無駄遣いするな!
  2. お金は貯めろ!
  3. 借金は何があってもするな!
  4. クレジットカードは作るな!
  5. 買いたい物があっても我慢しろ!

 

 親から洗脳されたこの5箇条を守りながら、銀行に勤務すること6年目・・・

 

 28歳で僕の貯蓄は600万円を超えましたが、勢いは止まらず、引き続き 100,000円 × 5年 の定期積金を継続契約しました。

※先の600万円と合わせて、32歳で預金1,200万円になる予定

 

 仕事の方も、預金業務はいつも目標をクリア。個人の社内評価は、良い状態が続いており、何も問題がない生活を送っていると思っていましたが、僕は銀行員である自分に「ある違和感」を覚え始めていました。

 そんな時に、ここで洗脳5箇条では対応できない出来事が起こります。

 

それは「融資」です!

 

 入社1年目~4年目くらいは、顧客のほうからお金を借りに来てくれましたが、5年目に入ってからは時代の変化もあり、待ちの姿勢だけでは、融資目標をクリアすることが困難になってきました。

ここで上司に言われたことがあります。

  • 他行融資の肩代わりを提案してこい!
  • カードローンをどんどん作らせろ!(カードローンは金利が高いため)
  • 預金を解約して車を買わせるな!消費者ローンを提案しろ!

 

 要は「借りようと思っていない人を、話術で落として借りさせろ!」と言っているのです。

 確かに銀行の利益の源は「融資利息」です。融資利息が入ってくるから、僕は給料をもらえてます。

 

 親から洗脳5箇条を教えられた僕にとっては「借金はするな!」「利息はムダ金!」です。僕は非常に苦しい状況となりました。

「心では思っていないことを口では言わなければならない・・・」

顧客をだましているような錯覚におちいりました。

 

 でも仕事をしなければならない・・・融資を伸ばすため・・・利息収入を増やすため・・・納得は出来ませんでしたが、上司の指示の通り、下記のことをやってみました。

  • 金利を下げての他行融資肩代わり(顧客は支払利息の軽減になる)
  • 返済期間を延ばしての他行融資肩代わり(顧客は毎月返済額が軽くなる)
  • ローンが嫌いな顧客だが、付き合いでカードローンを作ってもらう(お願いセールス、お付き合い契約)
  • すでに持っているカードローンが限度枠いっぱい使っている顧客に、2枚目のカードローンを作らせる(カードローンを使った実績がある方は2枚目を持つとそのカードも使う確率が非常に高い
  • 「預金はいざという時のために取っておきましょう。貯蓄があると万が一があっても安心感がありますよ」と、預金解約して車を買おうとしている顧客にマイカーローンを提案・契約。

 

 時には、その顧客に充分な預金があるにもかかわらず解約させず、マイカーローンではなく、あえてその預金を担保にして融資をしたり・・・

(預金担保融資は自分の預金を担保にしてお金を借りる仕組みです。金利は低いですが、銀行に払う利息は発生します。買えるだけの預金があるのに、逆に銀行に利息を払うという、顧客の怒りを買う融資商品です

 

 時には、2枚目のカードローンを持った顧客が、2枚目も限度枠いっぱいとなり、返済が延滞、結局代弁(代位弁済)になることも・・・

(代弁とは、保証会社が顧客の代わりに融資残とその利息を、銀行へ支払ってくれる制度であり、代弁になったらその顧客はブラックリスト入りです)

 ひどいと思うかもしれませんが、カードローンを2枚使っている顧客に、3枚目のカードを作らせたこともあります。

 

 もちろん、これらをやることによって、個人目標は達成でき、銀行への貢献度も上がりますし、個人査定も上がります。

 しかし、融資を提案したり実行すればするほど、正義の自分と偽りの自分が頭の中で喧嘩をするのです。

 

 

「不用な支出は悪」という商品を顧客に提案している

 

 

「銀行にいる限り、この業務を続けなければならないのか・・・」

「僕自身の道理に反している・・・」

「かなり苦しい・・・」

「無理かも・・」

 

 

「貯蓄は正義」「不用な支出は悪」という頭の僕が、「あること」を決断するのに時間は掛かりませんでした。

 

それは・・・退職です。

 

 いろいろ考えましたが、退職しか選択肢がありませんでした。

 直属の上司・支店長・人事部長からは面談で引きとめられ、社長(頭取)からは電話で引きとめられましたが、答えは迷わず「ノー」でした。

 

 今でも覚えてます。

 親・家族へも相談せず、入社6年目の 2月20日に退職願を提出、年度末の3月31日の夜8時まで働き、有給休暇は使わず全部捨てて、自分の意思で7年間の銀行生活に終止符を打ったのです。

 

洗脳5箇条を貫き通して勤務した7年間でした。

 

~第4話へ続く~